椿

2017/02/28

  二月は二十八日しかありませんから、商売人は二月を逃げると言います。確かに逃げるように忙しく過ぎて行きました。忙しすぎたのか何一つ記憶に残っていないというところが、年齢と連動して哀しいところです。「何か心に響くことがなかったかなぁ〜」と手繰ってみると根津美術館の「百椿図」の艶やかな美しさが蘇ってきました。

  椿・海柘榴はツバキ科ツバキ属の常緑樹で、照葉樹林の樹木です。日本内外で近縁のユキツバキから作り出された園芸品種、侘助や、中国・ベトナム産原種の園芸品種を総称して椿と呼称するらしいのです。それでいて山茶花は同じツバキ属でありながら椿と呼ぶことは少ないそうですから、何やら継子いじめみたいですが、例にとると藪椿と山茶花では、藪椿は萼と雌しべを残して丸ごと落ちますが(例外もあるそうです)、山茶花は花びらが個々に散るのだそうです。あれやこれやで、分け入るとどんな事象でも奥が深いものです。

  江戸は慶長の頃、二代将軍徳川秀忠(1579-1632)は殿舎に花畑を作りツバキを初め多くの名花を献上させたそうで、これが江戸ツバキ流行の発祥とされているようです。寛永7年(1630)には僧侶・安楽庵策伝が「百椿集」を、11年(1634)には公卿で歌人の烏丸光広によって「椿花図譜」が著され619種のツバキが紹介されていたそうです。

  根津美術館の「百椿図」は平成7年(1995)に野田醤油ことキッコーマンより寄贈された作品です。この「百椿図」は三河の松平宗家を祖とする藤井松平家四代松平忠国(1597-1659)が、京狩野の祖・狩野山楽(1559-1635)に制作を依頼して描かせたと伝わっています。

  三度目の正直で拝見できた作品ですが、華やかで綺麗に尽きました。美術館では平成二十一年(2009)から翌年にかけて保存・修理を施されて、巻く時の負担軽減のために太巻きにあらためられた二巻です。展示室いっぱいに鮮やかな椿図が繰り広げられて…目に飛び込んできます。その椿群は写実でありながら、幾何学的な意匠と工芸的な手法で旧くて新しい美しさで迫ってきました。難しいことを一切考えずにうっとりと見惚れる楽しさがありました。

  椿は首が落ちることから負のイメージがありますが、茶人は茶花として用います。大きな蕾を珍重して活けます。枝ものが好きな者には蕾も、盛りも、朽ちて落首していくどの姿も愛おしいものです。絵巻の椿は技巧的でありながら現代でも褪せない時代を超える力に溢れていました。

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