カテゴリー別アーカイブ: ひきこもごも

ひきこもごも

終わりの習作展

2024/03/05

年の初めから…大変なことが続いた2024年の幕開けも三月弥生になりました。
春は別れと旅立ちの季節でもあります。
私ごとにはなりますが…三十年余続けさせていただいた仕覆教室を年度末をもちまして閉じることに致しました。
長い歳月の間に掛けていただいた皆さま方の温情を幾重にも感謝いたしております。心よりの「ありがとう」を繰り返させていただきます。

教室の最後の「仕覆習作展・有り難う絲遊会」を2024/4/5(金)~9(火)まで神宮前のアートインギャラリー(会期中内電話03-3402-0191)で開催させていただきます。
個人的には在廊も出品もしておりませんが、どうぞ様々な表情の仕覆たちに会いにお運びいただけますことを切に願ってお終いといたします。  了

ひきこもごも

  • 2023/10/07

    島岡達三

    三十代の初めに大阪は難波の工芸店で大振りの島岡達三の湯呑みに出会います。
    民藝が盛んな頃で、以来、数点求めて楽しんできましたが、島岡達三の訃報を聞きながら昭和は遠くなっていきました。
    数年前ですか、オークションで達三の抹茶碗をみて無性に包みたくなって落札をしました。
    ところが、達三を始め黒田辰秋や河合寛次郎の道具は大らかで…普通の茶道具というには…はみ出してしまいそうな器です。抹茶碗というより小丼に近い印象ですが、堂々としていて丼とは似て非なる気迫があります。其れゆえに、入手しましたがその存在感に合う布地が見つからずに手元に眠っていました。
    あれこれ巡らせているうちに…使い古された雑味のある厚手の無地切れが、達三の象嵌を邪魔することなく馴染んでくれるのではと取り出してみると、野武士のような風貌の布と器は相性がよかったのです。これに決めました。

    しかし最近はいつも、仕上げに向かうと器と布の伏兵に難儀して相変わらずこんなにも下手だったかと自分に腹を立てながら手を止めることになるのです。
    それでも宿題が一つ片付いたように、器も布も私もささやかな安堵の気持ちで軽くなるのでした。

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    茶籠

    2023/9/9

    大人の「我儘ごと遊び=茶籠」は心弾む制作作業です。諸道具を揃えるところから時間はかかりますが諦めずに探し求めていきます。

    写真の籠はイメージで注文しました。同じく菓子器・茶巾筒は銀の打ち出しで注文。茶器の安南は蓋がプラでしたので象牙に変更、棗は生地に秋草が施されて…茶杓は銅で象牙の飾り、空打ちで用いますが、造形から「銘」が幾つも浮かんできそうで楽しめます。茶碗は李朝で、金継ぎが佳き味わいの小碗二つを見立てました。

    籠の布地選びは迷いましたが、手引・手織り布で、かすれ具合の雰囲気が気に入って使用しました。籠布に合わせて茶入れ・棗布も傷みの多い布を調和が取れるような配置にして景色として用います。茶碗は全体が締まるように丹波布を選びました。

    寂枯れた「茶籠」に仕立てたかったのですが、意図の通りの仕上がりであったかどうかは難しい所です。

    茶籠に関してはこれが最後と思いつつ、物に出会い、布に出会うと、その都度記憶のポケットの在庫たちが「もう一つ組めるかな」と囁くので困ります。

     

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    楼閣文大皿

     洋食器か和食器かと逡巡してから伊万里を中心とした和食器を選択して暮らしてきました。道具屋巡りが楽しみで京都の弘法市にはワクワクして出かけたものです。
     昨今、伊万里ブームも影を顰めたようですが伊万里の魅力は尽きません。
     しかしながら家族構成も変わって伊万里雑器の出番がなくなっていきました。
     この大皿は「惜別の情」忍び難くて包むことにしました。
     布地はこの皿のために温めていた和更紗がありましたので、満を持して用いましたが
    柄合わせに悩みました。
     製作に於いては懸念していた通りに皿の寸法に大小があって公約数で微調整するのは案外と大変で、ご多分に漏れず三回も解いては縫いの修正を繰り返しましたが、出来上がりは散々で自己嫌悪に駆られました。
     それでも製作者の未熟を責めるでもなく大人しく納まってくれているのは無機質な物の真に有難いところです。

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    白磁

    濁し手の白磁は目にも心にもあたたかく和んでくる器です。
    しかしながら、作りが薄いせいでしょうか、完品というものには中々お目にかからなくて…金で繕って使用することになります。それが景色となって一層愛着が湧きました。
    蕎麦猪口3個と勝手の良い皿2枚…長く料理を引き立て食卓を楽しませてくれましたが…お休みいただくことにしました。
    選んだ布は上下(かみしも)に用いられた江戸小紋の霰文です。バリバリに糊がついているので糊抜きをして仕立てました。白磁にふさわしい仕覆になったかと思っています。
    「お疲れさま」器と布の命の歳月に感謝をしました。

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    マーケット

    後期高齢者

    2022/8/1

     昨年の七月以来ホームページを開いてないのですね。歳月の速さに驚きます。
     今年の初めに後期高齢者になりました。
     歳の節目を、例えば60、65、70歳と迎えるごとに線を引いたような老いを感じてきたのですが、この75歳の線には嘆息しか洩れません。
     肉体の衰えがこたえます。身体のすべての器官が退化していくのを日々受け止めることになりました。器官の衰えは動作の端々・気力を阻喪させていくのです。
     世間はコロナ禍に加え、戦争etc…地球規模で不穏な空気感が蔓延して追い討ちをかけています。これがさらに心の漠然とした不安を増長させていくのです。不安の因は、生い先の予測不能な心細さでしょうか。先の希望が持てないという閉塞感。歳を重ねるという実感はここに尽きると思いました。
     見ないふりをして居ても、ヒタヒタと潮が満ちるように寄せてくる刻を留めることはできません。この事実に正面から向き合ったのが「後期高齢者」という括りでした。

     だからといってジタバタしても仕方がありません。
     何か元気が湧くことをと…考えて…閃いたことは、縁あって身辺を彩ってきた思い出の品々を、次の誰かに手渡すことでした。次の誰かは知人ではない誰かです。金銭の多寡より出会いを喜んでくれる見知らぬ誰か。
     早速「古物商」の免許を取得してフリーマーケットという摩訶不思議な世界で行動を始めました。損得抜きの行き擦りの他者との関係は心地良いですね。ちいさな幸せです。

     そして当然、仕覆の制作です。どうしても手放せない器たちを包んで残すことにしました。布探しから始めます。以前と比べて古綿布は少なくなっており、希望に叶う布はさらに入手が難しいのが現状です。叶う布を手にしても「初心を忘れた」怠慢の我が身には試練の連続で、布と器に首を垂れながら…それも含めてやはり至福の時なのです。
     「あぁ…楽しめる作業があって良かった」…と。好きなことは難儀であってもストレスを伴いませんし「下手馬」でも忘我の時間を持てることは、禅でいう「無」に近いものだと手前味噌に思える充実した日々です。この境地こそが老いの滋味ではないのかと思っている昨今です。

     それでも心が潰れそうな時は…施無畏(せむい)=おそれない・だいじょうぶという禅語を思い浮かべます。施無畏者は観世音菩薩で、菩薩の別称です。一切衆生の畏怖の念を取り除き救うという意です。後期高齢者としての日々は実の所なかなか難しいものがあります。
     

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    採れたての作物

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    2023/04/07

    リュイユ展と夢のはなし

    京都に向かう車窓風景は、遅春の新芽の羞じらいが新鮮です。京都国立近代美術館で「リュイユ展」を観るために出かけていきました。
    「リュイユ」はフィンランドの織物で、16世紀には寝具として用いられていたようですが、1900年のパリ万博に出品された「炎」という作品を一端として、1879年に設立された「フィンランド手工芸友の会」が、伝統的な手工芸を保存して活かすために画家のデザインをもとにデザイナーと織り手の関係を深めてアートとしての評価を高めていった作品群です。
    日本初公開の作品はトゥマス・ソパネンコレクション=(フィンランド国立博物館に次ぐ世界第二位のコレクション)の40点でした。布辺の作品展は珍しいのでどうしても観たかったのです。
    実際の作品はなんでもそうであるように、実物に備わっている魂の宿る美しさというものは言葉でも、映像でも表現できるものではありません。
    例えばガタログに使用されているウフラ=べアタ・シンベリ=アールストロムの「採れたての作物」1972年(162×128cm)は多種類(経糸=木綿・緯糸=ウール・絹・他)の糸を用いた複雑で微妙な色の表現は深く濃い作品を生み…豊穣な充足感を与えてくれました。
    糸の持つ質感が彩なす織り物は、絵画とは異なる世界観です。用いられている素材の重量感はどこまでも柔軟で身近です。その親近感は受け手に伝わります。それは、古来から生活と一体化してきた染織品の持つ魅力だと思いました。

    向かいにある京セラ美術館地下の心地の良いカフェ(都人は新旧の取り込み巧者です)で予想を裏切る美味しいサンドイッチを頬張り「一期一会」というクラフトビールを飲みました。花曇りの一日でしたがガラス張りの外の景色を眺めながら…眼福、口福に預かった余勢で秘めている夢が蘇ります。。

    好き勝手に仕覆を作り続けて二百余点にもなりました。下手うまですからお人の注文を受けるわけでもなく…無論販売できる物もありません。ただ、ただ、古綿布•古き佳き物に魅せられた所為あっての今日です。いろんなバッシングも受けましたが、日本独自の袋物であると同時に、江戸中期からの庶民の衣類としての古綿布を護り、形として残したく製作を続けてきました。
    制作を始めた当初はPCで「仕覆」と検索しても皆無でしたが、今では八万件以上の情報が溢れています。とても喜ばしいことです。
    それでも「仕覆」は「一器一仕」の付属品の袋もので手芸品と見なされているようですが、制作工程も含めて凛として立っている独特の袋物ですから手芸品とは一線を画していると考えています。一般に歴史的背景を持たない染織品は劣化も含めて消耗品として等閑視されているきらいがあるのが残念です。

    独自の解釈で、研鑽を重ねてきました。それでも個人の仕事には終わりがあります。多くは拙作ばかりですが、三十五年間の仕事をどこかで発信して多くの方に観て頂き…次に繋げていけたらと願うようになりました。
    ですが広い会場を借りる余力はないのです。そこで寄贈も視野に…広い会場を提供・企画をお願いできる所はないだろうか…と。これが、密かなる夢の中身です。夢を夢として諦めずに幸運が降って来ることを心の裡で温めているのです。

     

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    sifuku

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    算留嶋=奥嶋=舶載唐桟のこと

    2021/07/21

    二十数年ほど前になるでしょうか…確かなオークションで舶載の唐桟を、大小合わせて七枚落札しました。落札は最高値ですから、安かったとは言い難い金額でした。
    「舶載唐桟」はなかなか市中に出回りませんから取り敢えず求めましたが… その頃は「更紗」に夢中でしたので、紺地に赤・白・黄の縞模様が、和物の縞木綿と変わりなく思えてそのまま仕舞い込んで今日に至りました。
     望む古綿布を見かけなくなってきた昨今、取り出して見ました。遠目に紫立つ色目が好みではないのです。しかし、改めて触ってみると布味が普通の綿布と違う手触りに気づきました。
     裁断を初めてさらに「あっと」驚かされました。
     唐桟は双糸だと聞き及んでいましたし、見分ける基準にもしていました。その双糸の解釈が全く違っていたことを…。
      双糸ということは整縦して織ると二本で一筋(一本)の縞に見えることだと思っていました。その二本•つまり双糸を用いて一本の線にみえることが「唐桟」だと解釈をしていたのです。縞木綿の大半がそうなっています。例えば赤い一縞は二本の双糸で一筋として織られていきます。見た目に違いがないことが疑念でもありました。
     実際の「唐桟」は見た目は変わらないのですが、極細の糸一本が双糸そのものなのです。布端の糸を注意深く見ていて判然としたことでした。
      縞に見えるように整縦するのは一緒ですが…その実、糸は細い細い糸が四本から成っていたのです。またその糸は通常の綿布に用いる糸よりも細いのです。縦糸も然りです。
     極細の糸ですから緻密に絡んで、適度な厚みと滑らかな感触が得られていたのです。 
     さらに縫い上がった仕覆は傷みは随所にある布ですが、形が崩れない…縞という了見を覆して微かな光沢を宿した絹地の感触の木綿でした。
     精緻で気品を感じるこの裂の希少生は手引きで手織ということです。
     昨今…柔らかな綿布は其れなりにありますが、機械生産です。印度は例外ですが、今では廉価品が多いのが惜しまれます。これほどの手間暇をかけた綿布というのは現代では生産が難しいでしょう。永年…古綿布に携わってきましたが…思い込みの軽率さを反省しました。

     早速、昭和九年増補の「染織辞典」を繰ってみます。
     とうざん=(唐桟)綿織物の一。又桟留縞とも奥島ともいふ。桟留は西印度の東海岸にあるサントメ即ちセント-トマスより舶載せるよりこの名あり。紺地に蘇芳染の赤糸入りのものを奧島とも黒手ともいひ、浅黄縞なるものを青手とも称し、或いはすべてを奥島ともいへり。蘭人により輸入し始められしものにて、寛永の頃より既に流行を来し、就中天保の頃は其の輸入盛んにして上下男女の別なく、夏着の薩摩上布に対し冬着として唐桟を愛用せり其の後武州入間群に於いて之を模造し、川越より移出せしを以ってこれを川唐といひ、舶載品は之を唐桟留と称し、後省略して唐桟ともいへり。組織緻密にして、光沢仕上を施し地合平滑なり。ー略ー

     江戸中期17c〜19c頃に庶民が好んだ舶載の木綿布だったのです。印度の綿花は長々綿ですから、良質の細い糸でもって美しい縞模様の織物が生産できたのでしょう。
     江戸期の庶民の衣類は木綿です。生活必需品ですからその需要と供給は想像以上で、消耗の激しさを加味すれば…舶載・国産木綿も双方の消費量は驚くばかりで…後には襤褸として全うする定めの綿布です。
     (※ 興味のある方は…山脇悌次郎著「辞典・絹と木綿の江戸時代」に詳しい記述があります。)
     斯くして遺された「唐桟」は手元にありますが、消耗され失われていく古裂の愛惜と…受容できる時節を待って知らしめてくれた江戸期の「贈り物」であったろうと…。謙虚に受け止めて、布の命に恥じない仕事を粛々と続けて参ります。

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    Art exhibition

    美術展こもごも

    2012/06/16

    コロナも終息せず…昨年延期したオリンピック開催の策動に加えて…ここにきてようやく梅雨入りです。幸いなのは高齢者のワクチン接種が始まり、若干の安堵感が救いですが、気力・体力の衰えが甚だしいことに驚いています。
    それでも約束をしていた「静嘉堂文庫美術館」の最終展覧会に寄せて頂きました。館は自宅から近くて好きな場所でしたから残念ですが、丸の内の明治生命ビルという(重要文化財指定)の華やかでいて由緒ある建物への移転ですから喜ぶべきことでしょう。
    お別れにコンドル(1852-1920) の弟子桜井小太郎(1870-1953)の設計による文庫の建物の内部を拝見できたことは果報でした。文庫は大正13年(1924)鉄筋コンクリート2F建で、スクラッチタイル貼りの瀟酒な外観はイギリス郊外住宅のスタイルです。映画「プライドと偏見」の主人公の家を彷彿させました。尚…美術展は大盛況で美術愛好家の層が厚いことを驚きを持って感じた次第です。
    次は「根津美術館」の「茶入と茶碗」展の予約をしました。サブタイトル「大正名器鑑の世界」です。「大正名器鑑」は「仕覆ものがたり」が書けず四苦八苦していた頃に、茶入編(一〜五巻)のデータ(323点)を取り続けた実業家・高橋義雄=箒庵(1861-1937)の名著です。データーに記載されている茶入の仕覆裂から仕覆を探ろうとしていた苦い時代を俯瞰してみようと思っています。

    さらに6月21日から始まる東博の特別展「国宝 聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ」展を予約しました。十三年前に若い学生さんに混じって「古美術研究研修」で仰ぎみた仏像です。
    国宝•十一面観音は三輪山・大御輪寺の本尊でしたが、明治の神仏分離・廃仏毀釈で慶応四年(1868)に聖林寺に移管された仏で、この仏に関する書類は灰塵に帰しています。
    「聖林寺・十一面観音」は木心乾漆造は天平様式の八世紀を代表する名作の仏さまです。手元に聖林寺で求めた絵葉書が4葉あります。優美にして力強い立像です。畏敬を持って拝観すべき仏像の一つです。
    奈良・桜井の地は東京から簡単に日帰りという場所ではありません。この度、東博で拝観できる僥倖が待ち遠しい特別展です。

    こうして興味のある展覧会が次々に開催されるということは…長い雪解けの…春待ち人…と同じ心境です。これを契機に何もかも…一度リセットされて…改めて新鮮な未知へと拓けていけたらと願わずにはいられません。

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    篠田 桃紅

    篠田桃紅が三月一日に老衰で107歳で亡くなったことを知りました。

    若い頃から彼女のすべてが「憧るる女(ひと)」そのものでした。
    「墨象」と命名された作品群•容姿・文章、美しい言葉の重なる文章から察せられる思慮深い
    無駄のない生活様式。
    あまりの熱中ぶりに「遭わせてあげましょう」という奇特な方があって舞い上がりました。
    手土産に赤間石の手のひらサイズの硯を注文して待ちましたが…さて…よく考えてみると無知な田舎者が彼女に会ってどうしょうというのでしょうか。「ファン」それだけです。
    彼女の時間を割く資格がないと悟り断りの旨を伝えました。
    「何故・どうして、勿体ない」との由でしたが、いまでも正解だったと思っています。
    その後、彼女のリトグラフの作品を入手しましたが、不思議と自宅の何処にも不似合いでした。

    日常茶飯に紛れて過ごしましたが「憧るる女(ひと)」であることには変わりがありませんでした。
    そう…雲の上の人的存在だったです。
    97歳の彼女を取り上げた婦人誌の編集者の話では、当日の取材のために着物を新調されて臨まれたそうです。写真でみると渋い色合いの熨斗目格子紋でした。
    因みに手土産は駿河台下の御菓子処「ささま」の生菓子が指名の好物だったそうです。

    先晩、深夜放送で100歳の折のインタビューが再放送されていましたが、アナウンサーがタジタジとなる強靭な精神力と峻烈な個性…確かな滑舌。
    その孤高な人が追い求めた墨せん…墨せんは二つとして同じ線は書けません。その線に魅せられて追い求め…求めて果つることのないお方だったのでしょう。
    香り高い墨と良質な硯、選び抜かれた和紙に筆…。
    喜怒哀楽を合わせても尚、幸せな生涯であったと傍目に思いました。   合掌

    横浜のそごう美術館で2021/4/3〜5/9まで篠田桃紅展「とどめ得ぬもの 墨いろ 心のかたち」が開催されるようです。