古書

2018/09/08

諦めていた古書が入手できました。なんだかとても嬉しい。

「手箱」平成十一年(1999)五月二十日発行蒔絵研究会/編,駸々堂出版 
 B4サイズ・限定八百部の一冊です。

 この本を知った始まりは、平成二十六年(2014)十一月、京都国立博物館の平成知新館で開催されていた「京へのいざない」展示品に端を発します。
 「石帯および袋」でした。「石帯」は公家男子の正装である束帯に締める帯です。
 簡単に表現すると、幅10cm弱の黒色革製に、四角と丸の形で斑犀が交互に飾りとして付いています。展示はグルグルと輪状に巻いた石帯があり、そばにそれを納める袋が無造作に置かれています。袋には上差袋と記されていました。
 上差袋とは広辞苑によりますと【上刺袋=貴人外出の時、衣服などを入れて従者に持たせた袋。上刺(布を補強するため、丈夫な糸で碁盤の目の形に縦横に刺し縫うこと)を施し、力布に平緒を縫い付けた袋で口を紐で締め括る】展示の袋は錦の織物でできていました。
 石帯の形からすれば仕覆形の方が相応しいと思いましたが…携帯するから上差袋だったのでしょうか…と…これを書いていて今気づきました。いつもの悪い癖、早とちりです。
 だとしても石帯の形からして底がついていた方が納まりはよかったはずです。(展示では底を見ることができませんでした)そのときは単純に、この袋が制作された当時、仕覆形袋の創案は無かったという推測をしました。
 目視でわかる範囲のメモを取りましたが、今でいう仕覆形ではない不思議な袋でした。
 展示品は「国宝、阿須賀神社伝来の古神宝類のうち」と記されていましたが、なんでこれが国宝なのか…理解不能でした。
  阿須賀神社は現在の和歌山県新宮市の速玉神社に明治四十年(1907)に合祀されています。

  翌年四月から院生聴講生として通った研究室でこの話をしたら教授はいとも簡単に「速玉神社の上差袋だろ」とこの「手箱」という本を差し出してくださったのです。速玉神社に調査に入ってまとめられた御本なのでした。
  「手箱」は明徳元年(1390)足利義満の時代に国家一代事業として旧阿須賀神社・十二社に奉納された十三合のうち、遺された十一合をまとめた本なのです。     
 寄進者は禁裏・仙洞御所・室町殿(足利義満)・諸国守護職が割り当てられて、最終的に足利将軍家によって奉納されたものだそうです。つまり室町幕府の権力、財力を背景とした「手箱」類になります。
 来歴がはっきりしていることから漆の手箱の基準作として国宝に相応しい貴重な作品群となっているものでした。この一群の中に「石帯」の袋は属していたのです。国宝は納得できました。
仕覆形の創案時期を追いかけていたので、資料としては一級です。

  2017年のサントリー美術館「神の宝の玉手箱」展でも速玉神社の手箱数点が展示されており、古神宝として文鏡の袋も展示されていましたが、いずれも錦の上差袋状のものでした。(底は芯のない状態で裁断され制作されています)
  二例の展示品の袋には緒はついていましたが、現在の形とは違います。底も上記の通りで、今の形とは違いました。内包物と奉納の意図からすれば現在の仕覆形の方がふさわしいと考えられますので、この時代にはまだ仕覆形袋の確立はなかったのだと改めて思った次第です。

  そんなこんなで素人にはガラスの天井の向こうにある神宝ですが、この袋の一群の形が引っかかっていましたので、絶版本が入手できたことはご縁です。
 本書にはこの袋物類の掲載写真は一葉もありませんが「新宮御神寶目録」の古文書を精査しながら、未知の仕覆研究の新たな一歩をと…明るい気持ちになりました。

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