菊池信子さんの類稀なきもの

2018/01/22

都内の某所で菊池信子さんのコレクションの着物群を観ました。
いまは去る三十年ほど前に…婦人誌で不思議なオーラを放つ着物姿の女性をみました。「誰にでも着こなせない」更紗尽くしの装いでした。暫し唸りました。
自分のなかで着物の・更紗の認識が変わりました。雑誌を切り抜いて眺めていましたが、そのうちにどこかに紛れて…映像だけが残りました。

新春、展示会案内にあの独特の着物姿をみて、その人が二年前に他界された菊池信子さんというご婦人で「歩く美術館」と称された美意識の持ち主であることがわかりました。このコレクションの経緯に詳しい知人を誘って初日に拝見をしてきました。
染織品というのは美術業界では地位の低いものです。研究者は等閑視されていますが、近年は裂地が婦人層に支持されて美術館の展示も茶入れ等の中身よりも仕覆裂または包み裂に注目が集まっている気がしています。
菊池コレクションをみて感嘆したのはインド産の更紗を贅沢に用いて着物に仕立てられている点でした。江戸後期、東インド会社が活躍した時代の更紗だと推測しました。東インド会社では交易品の一つである更紗を、需要のある地域の注文を受けて輸出してきましたが、産業革命(18c後半-19c前半)後、更紗は捺染の量産品にとって変わります。
写真の着物は、手書きの更紗です。カーネーションの図柄はヨーロッパ向けに輸出されたものだと思います。菊池信子さんは夫君のコレクション(エミール・ガレ=サントリーの菊池コレクションとして収められているとの由)の収集にヨーロッパに同行されて更紗に出会われています。
ヨーロッパで更紗を一巻き(110cm×500cm=サリーの用尺)で求められたものと想像します。用尺が潤沢にあったので着物に仕立てられたのが幸いでした。

保存も含め程度の良い更紗の展示を一つ一つ眺めながら、今では断片でも入手が困難な東洋の裂地群を愛でました。
願わくば…この遺品を継承されたたった一人のお孫さんが、貴重な更紗を散逸させることなく相応しい着地点まで導いてくださることを…布地を愛好するものとしては見護るばかりです。

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